【キャリア共奏 第0022号】
キャリアカウンセラーの濱野です。
私は言語化するという言葉が好きでよく使います。
自分の言葉で、文章として(紙に)書くことを「言語化」と表現します。
今日から、その言語化について、何回かに分けてお話ししたいと思います。
例えば、「これっていいアイデアだよな!」と思って、誰かに話してみる。
会話が盛り上がって、「いけそう!」とも思う。
でも、いざ言語化してみると、なかなかうまく表現できないし、まとまらないことが良くあります。
他にも、「この資料、こんな感じでお願いね」と頼んでみたけれど、
「ここは、どうまとめたらいいのでしょうか?」とか、「ここはどう考えるべきでしょうか?」と質問されると、
「少しは自分で考えてよ」と心でブツブツつぶやきながらも、お願いしたことが、曖昧だったことに気付くことが、よくあります。
少なくとも、私にはあります。
思いついたアイデア、誰かにお願いした仕事、普段の生活の中では、様々なことを頭の中で考え、口にも出したりします。
でも、これらを言語化して、紙に書こうと思っても、なかなか筆が進まないものです。
つまり、それだけ頭で考えただけのこと、口に出しただけことは「曖昧である」、ということが言えるのではないでしょうか。
だから、いざ言語化してみると、行間の曖昧さが、自分でも思うように言葉にできず、筆が進まないのだと思います。
それでも、なんとか言語化してみようと考え続けていると、
上の例で、資料の作成をお願いした時に、他人から曖昧な部分を質問されて、考えて回答をひねり出したのと同じように、
今度は他人からの質問ではなく、自分自身の中で自問自答が始まり、
行間の曖昧さに自分で気付き、そこに具体的な言葉を補っていく、言葉を創り出していく過程で、曖昧さが解消していくのだと思います。
これが、考えたこと、話したことが、なかなか言語化できない理由であり、言語化することの効果なのだと、私は思っています。
明日も続けます。