【キャリア共奏 第0037号】
キャリア・カウンセラーの濱野です。
昨日は、知人のキャリア関連の論文執筆を手伝ったことをきっかけに、感じたことを書かせて頂きました。
今日も、続けます。
他人から見れば明らかな強みも、実績のすごさも、自分では、なかなかわからないし、わかっていてもストレートに表現できないし、日和ってしまう。
これは、良くあることではないかと思います。
試しに、自分の強みを文章で書いてみれば、なかなか書き出すことができなかったり、書いてもしっくりこないことが体感できると思います。(一部の方、慣れた方を除いては)
なんとなくですが、自分自身を見つめる時には、何か虫眼鏡のようなものを持って、至近距離からアップで見ているようなもので、近すぎて全体像がわからない。
そして、自分自身の良い部分だけを見ようとしても、そんなことはなかなかできるものではない。
自分自身の良い部分も、悪い部分も全てを知っている自分が、その中から良い部分、強みを探さなければいけない。
悪いところも知っているから、どうしても良いところだけを取り上げて「こんなにすごいんです」、「こんなことができるんです」なんて表現しづらいし、日和ってしまう、ということだろうと思います。
私が自分自身の職務経歴書を書いた時にも、友人のキャリア・カウンセラーから、何度もダメ出しされています。
ダメ出しというとあまり良い表現ではないですが、私の書いた文章を読みながら、「こんなこともできるってことだよね」、「もっと前向きな表現にすると、こういうことだよね」と、
良い部分だけを見ようとしてくれたし、良い部分にフォーカスした言い換えをしてくれました。
このように、一歩下がったところから全体像を眺めて、良い部分だけにフォーカスするというのは、自分自身に対してはなかなかできないことだと思います。
キャリアを振り返り、自分自身の強みを理解し表現する上で、第三者(キャリア・カンセラー等)の関与は必要不可欠だと思う理由も、このようなところにあります。