【キャリア共奏 第0038号】
キャリア・カウンセラーの濱野です。
昨日は、
自分のことを、一歩下がったところから全体像を眺めて、自分自身の良い部分だけにフォーカスするというのは、なかなか一人ではできない。
だから、キャリアを振り返り、自分自身の強みを理解し表現する上で、第三者(キャリア・カンセラー等)の関与は必要不可欠である。
というお話をさせて頂きました。
昨日、あえて書かなかったことがあるので、今日はその(続き)として書き留めておきたいと思います。
昨日の
「全体像を眺めて、自分自身の良い部分だけにフォーカスするというのは、なかなかできない」
というのとは、矛盾して聞こえるかもしれませんが、
「自分のやったことになると、捨てることが、なかなかできない」
ということも起こります。
何かというと、
これもキャリアを振り返って、自分のことを文章にした際によく起こることなのですが、
「あれもこれも、自分はやってきた、だから全部書いて、説明したい」
という思いが、ふつふつと生じてしまうということなのです。
つまり、絞れないし、捨てられないから、かえって他の人が読んだ時に、強みがなんなのかが、まったく読み取れない。
だから、その人がやってきたことはわかったけれど、「で? 何が言いたいの?」 ということになります。
本当は、あれもこれも取り組んできたし、あれもこれも書いたけれど、
これは削っても良いだろう、あれも削っても良いだろうと、捨てて捨てて、残ったものだけが、
他人に伝えるべき強みであるし、自分がもっているダイヤモンドの原石なのだと思います。
その捨てる作業ができないから、結果として、他の人が読んでもよくわからない、
その人がやってきたことの説明がつらつらと並び、ノイズとなって、ダイヤモンドの原石が、その文章の中に埋もれて、読み取ることができないということが、起こっているのだと思います。
昨日と同様に、この捨てる作業も、本人だけでは難しいのだと思いますし、自分の人生のことなので、全部書きたくなる、捨てられないのもわかります。
これが、キャリアを振り返り、自分自身の強みを理解し表現する上で、第三者(キャリア・カンセラー等)の関与は必要不可欠であるという、もう一つの理由であり、昨日の続きとして書き留めておきたかったことです。